大野寿子さんとは、難病の子どもの夢を実現させる非営利団体「メイク・ア・ウィッシュ」の“伝道師”として30年間、3000人の夢に寄り添ってきた方です。
今現在、自身のがんと闘っています。
そんな大野寿子さんの経歴やプロフィールを紹介していきます。
大野寿子のプロフィール
- 名前:大野寿子(おおのひさこ)
- 生年月日:1951年2月
- 年齢:73歳(2024年8月現在)
- 出身:香川県高松市
- 学歴:上智大学卒
大野寿子さんは香川県高松市にて
として生まれたそうです。
と幼少期を語っていました。
実家は「魚徳本店」というかまぼこ製造会社を営んでいたそうです。
その後、父親は市議から市会議長も務めていたそうです。
今現在、大野寿子さんは
で生活されています。
大野寿子の経歴
大野寿子さんは上智大学在学中から、演劇活動を開始し、
されていたそうです。
大学卒業後は
され、
4人の男児の母親
になられました。
1987年に夫の転勤に伴い渡米するも、1991年に離婚して帰国されたそうです。
その後すぐに
されたそうです。
そして1994年、今のご主人と再婚され、ご主人の連れ子2人を引き取り、
計6人の母親
となったようです。
同年、メイク・ア・ウィッシュの活動に出会い、同団体の職員となり、
されました。
2016年に定年退職し、同団体の理事を経て、
2022年9月より同団体チーフアドバイザーとして広報・講演活動を続けてるそうです。
そして2024年2月に、自身にがんが見つかりました。
がんと闘いながら、
に向けて活動されています。
メイク・ア・ウィッシュとは?
メイク・ア・ウィッシュとは、
1980年、アメリカのアリゾナ州で始まった
世界最大の「願いをかなえる(wish granting)」ボランティア団体
とされています。
その目的は
「難病と闘う子供が持つ夢の実現の手伝いをすること」
であるそうです。
いかなる政治的宗教的団体にも属さない、非営利団体のようです。
活動として、難病と闘う子供たちの
- 「有名な歌手に会いたい」
- 「メジャーリーグの試合を見たい」
- 「海にいる本物のイルカと泳ぎたい」
- 「自分の絵本を出版したい」
などの夢を実現させていくのだそうです。
その中の例として
X JAPANのHIDEさんのファンである難病の少女、貴志真由子が実際にHIDEと会い、
手紙のやり取りをしたり、HIDEが見舞いに訪れたりという交流を持つようになって励まされた、という話も、
メイク・ア・ウィッシュを通じて実現したもの
だそうです。
大野寿子さんはこの団体に携わり、長年活動されてきたそうです。
大野寿子の最期のプロジェクトとは?
大野寿子さんが自身の命に限りがある、もう時間がないと分かったときに
と自問自答されたとき、
まずは講演、そして自著を通して、難病の子どもたちの様子を伝えること。
だと答えが出たようです。
過去に大野寿子さんは
自著『メイク・ア・ウィッシュ 夢の実現が人生を変えた』を出版
されています。
これには、難病の子供たちの夢を応援してきたメイク・ア・ウィッシュの奇跡の物語が描かれています。
となっているため、
自費で500部を刷り直し、それを希望者に無料(協力してくれる人には有料)で届けることを決めた
のだそうです。
それが、大野寿子さんの最期のプロジェクトです。
大野寿子のがん
大野寿子さんは
肝内胆管がん
と闘っています。
2024年2月中旬、みぞおち周りが硬くなっているのに気付いたそうです。
痛みはほとんどなく、最初は「ヨガで筋肉が付いて来たのかな」とのんびり考えていたようです。
その後、病院を受診し、がんが発覚されました。
そうで、手術や放射線治療は不可能な状態だったそうです。
そして6月末には医師から
と宣告されているそうです。
体重はかつての50キロから40キロに減り、157.5センチの身長にしてはかなり細くなっているようで、
衰弱は確実に進んでいるそうです。
大野寿子さんが最期のプロジェクトを自身が見届けられますように。
まとめ
難病の子供たちのために尽力されてきた大野寿子さん。
自身のがんと闘いながらも、その活動はまだ終わっていません。
最期まで応援していきたいですね。