【バチェラー4】黄皓の生い立ち!貧乏やいじめを乗り越え父親の跡を継ぎ実業家に!

黄皓
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4代目バチェラーとして一躍人気になった黄皓(こうこう)さん。

今現在は実業家として有名ですが、

幼少期は苦労された過去もあるようです。

そんな黄皓さんの生い立ちが気になりますよね。

まずは黄皓さんのプロフィールから早速見ていきましょう。

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目次
  • 名前:黄皓(こうこう)
  • 本名:HUANG HAO(ホァン ハオ)
  • 生年月日:1986年9月23日
  • 年齢:37歳(2024年5月現在)
  • 身長:181㎝
  • 血液型:B型
  • 出身地:中国湖南省長沙市
  • 国籍:中国
  • 趣味:ゴルフ、サッカー、トレーニング

中国出身である黄皓さんの本名はそのまま「黄皓」ですが、日本では「こうこう」と呼ばれています。

しかし本来の中国での読み方は「ホワン・ハオ」になるそうです。

日本での「こうこう」という読み方はいわゆるニックネームで、本名の読みは「ホワン・ハオ」になります。

そのため、中国の家族や仲の良い友人は黄皓さんのことを本名の「ハオ」や「ハオくん」と呼んでいるようです。

10代の時に来日した以降、日本にいますが、中国国籍を持ち続けているそうです。

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幼少期から現在までをまとめてみました。

  • 黄皓の幼少期
  • 黄皓が日本へ来たのは16歳
  • 黄皓がいじめられた過去
  • 黄皓は錦城高等学校出身
  • 黄皓は早稲田大学卒業後、三菱商事入社
  • 黄皓と父親の関係

1つずつ詳しく見ていきましょう。

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黄皓さんは自分の幼少期のことを、

子供の頃はボロい団地に住んでいました。
家の周りとかも、一応は舗装道路でしたが道はデコボコみたいな、そういう景色を今でも覚えています。

と話していました。

幼少期の遊びはよくドッジボールをしていたそうです。

ただ、日本のボールとは違い、米を入れた袋を投げていたそうです。

そして両親の日本での仕事が調子が良いときは、黄皓さんも日本に来て、半年ほど日本の小学校に通っていたりしたそうです。

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2002年頃に、父親の仕事の都合で日本へ移住されました。

この頃の生活は厳しかったそうで、両親は日本へ出稼ぎに行っていたそうです。

黄皓さんは祖父と暮らしていたそうです。

両親は日本で中華料理屋の皿洗いの給料で生活の基盤をととのえて、建設会社に勤めていたそうです

両親とも同じ会社で働いていて、母親の方が役職が上だったようです。

黄皓さんは1日3つおにぎりを食べさせてもらっていましたが、
ご両親は1日1つのおにぎりでしのいでいた時期もあったようです。

決して裕福な家庭ではなかったのがわかりますね。

その後、父親が貿易会社を興し、財を築き上げていくこととなったそうです。

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日本に来て間もない頃、日本語もうまく話せなかったこともあり、

日本人とは違うということで、いじめにあっていた

そうです。

言葉も文化も違う黄皓さんを、受け入れてもらうには時間がかかったそうです。

学校に行くのがつらい時期があった

と話されています。

見た目が陰キャで真面目だったので、外見でイジられることもあったそうです。

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中学の先生から

「錦城高校に受かったのは運がいい。でも今の学力だと毎日勉強しないと置いてかれる」

と言われて、毎日勉強したおかげで、

高校での成績はトップ10

に入っていたそうです。

中学まで見た目でイジられていた黄皓さん。

高校に入って、理容室ではなく美容室に行ったそうです。

「でもあるとき、それまで通っていた理容室ではなく、美容室で髪を切ったら、クラスの皆から「いいじゃん!」って褒められたんですよね。大人になっても、友だちから肯定されて感じた当時の喜びを忘れていなくて、自己啓発につながるサービスを展開できたらいいなという想いがありました。」

この時のことが今のビジネスにも繋がっているそうです。

クラスでも、少しモテだしたそうですよ。

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早稲田大学商学部に入学、卒業されました。

大学では陽キャになり、かなりモテたそうです。

その後、超大手、三菱商事に入社します。

実は就職活動をするまで、三菱商事を知らなかったそうなんです。

業界No.1企業だと知って、三菱商事を受けることを決めた

そうなんです。

それで本当に受かっちゃうんだからすごいですね!

入社5年目で仕事も成果が出てきて転職を考えていた頃、メキシコ駐在を言い渡されてメキシコで暮らしていた時期があったそうです。

そして将来のことを考えてMBAの勉強を始めようと思っていた時に、父親が倒れたんだそうです。

MBAとは。
「経営学修士」と呼ばれ、ビジネスに関わる専門性の高いテーマを実践的に学んだ大学院修了者に与えられる修士号を指します。

その半年後に再び父親が倒れ、MBAをとるか、父親の会社を継ぐかの2択で、

父親の貿易会社を継ぐ決意をした

そうです。

会社にもその意向を伝え、2016年、メキシコ駐在中に三菱商事を退社されました。

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2018年4月に、父親の会社、TCL国際貨物代理有限公司の後を継ぐこととなり、代表取締役に就任されました。

以下、父親への思いを語っています。

私が父に対して強い憧れの気持ちを抱くのは、父の会社が倒産寸前になった過去があり両親が貧乏な生活をしていたにもかかわらず、自分にはその素振りを一切見せず、自分が大学で何不自由なく生活できていたことを知ったからです。その事実を知ったとき、「将来、必ず恩返しがしたい」という思いが湧きました。これが自分の起業の原点です。父の会社を継ぐときもその会社よりも稼いで、恩返しする気持ちもあり、日本で新しい会社を立ち上げたのです。

黄皓さんは2016年09月に、RILISIST株式会社を立ち上げ、「ヒューマンプロデュースサロン」としてBESTAというパーソナルトレーニングジムを開業されています。

そしてその後、2020年7月28日にはミラーフィット株式会社を立ち上げ、オンラインフィットネスができる「ミラーフィット」というサービスを展開されています。

結果、黄皓さんは3つの事業を経営されていることになります。

  • 上海TCL
  • RILISIST株式会社
  • ミラーフィット株式会社

そのどれもが成功されているので本当にすごい人ですよね。

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いかがでしたか?

今現在の見た目からは想像できない幼少期を送っていましたね。

そんな幼少期があって、成功された今があるんだと思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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